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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART30

PART30は、いよいよ店主のパーティー遍歴を振り返る最終章。絶頂兄弟解散後、DJ難民となった店主が巡り巡ってUKガラージDJとして回春する現在までをリワインドします。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

今日リワインドするのは今年の春、絶頂兄弟解散後、俺がDJ難民になるところからです。

絶頂兄弟の解散により俺はフィジェットハウスやノイズへの関心を失った。同じ頃MacBookのハードディスクがクラッシュして、iTunesのライブラリもノイズ用の素材もすべて吹っ飛んだ。一から出直す俺にはちょうどいい事故だと自分を慰めた。

そう言いながら絶頂兄弟に未練タラタラの俺は、4月9日(金)リニューアル後初のCATCHY!でコラボすることになったテクノDJのTURUさんに絶頂方式でのプレイを申し出た。TURUさんも絶頂方式を面白いと言ってくれた一人だった。

両者の年齢合計90歳の絶頂爺対決は、セメントと言うより道場でのスパーリングのようだった。TURUさんに俺の手のうちを完全に読まれてる気がした。それくらい流れるような展開に思えた。でも楽しかった。いい汗かかせてもらいました。

この頃はもう新譜を買うより自分のiTunesライブラリの立て直しに必死だった。ロック、ポップス、ソウルの定番曲は図書館のCDで補完した。B級アイドルのCDを借りにアンタマの家まで押しかけたこともあった。

クラブでプレイするような曲はCD-Rに書き出してあったからDJにとって最悪の事態は回避できた。だが、絶頂兄弟がなくなったいま、フィジェットハウスを詰め込んだCD-Rは不燃ゴミの山でしかない。いつかまたこの中の曲を一人でプレイする日が来るのだろうか。

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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART29

PART29は、今年2月にAMWEさん、AGOくん、tokajixxくんをゲストに迎えて開催された「CATCHY! ELECTRO EDITION」、別名「2.26浜松事変」をリワインドします。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

俺のバカサガも時系列ではそろそろ終わりに近づいてきた。最近口数が減ってるのは俺自身に名残惜しい気持ちがあるせいかもしれない。

だが「終わりははじまり」と佐野元春も歌っている。このバカサガも懐古が目的ではないから現在に戻ったら次は未来を呟いていく。ちょうどeraguruさんもさっき「未来に蘇るもの的に現在と過去未来をフュージョンして行こうかと」と呟いていた。

未来について妄想をめぐらすのは過去のことをほじくり返すより、たぶんきっと絶対楽しい。俺の中で2011年のUKガラージシーンは既に過去のどの時点より熱いっ!猛烈に沸騰している!ワクワクするぜ。

さて今日リワインドするのは今年の2月、俺とヤマダリヲのDJユニット絶頂兄弟が解散するところからです。

2010年2月26日(金)、浜松のクラブセコンドで「CATCHY! ELECTRO EDITION」が開催された。別名「2.26浜松事変」。ゲストに名古屋からAMWEさん、AGOくん、tokajixxくんをお迎えした。

名古屋クルーのほかにも既出のVJチーム、CLUSTERの2人にも応援で参加してもらった。CATCHY!一座の座員や応援のダンサーも含めると、ざっと15名あまりの大所帯が繰り広げるまさに音楽の一大絵巻、一大事変であった。

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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART28

PART28は、2008年10月に結成したヤマダリヲとのDJユニット絶頂兄弟として活動した期間をリワインドします。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

今日リワインドするのは2008月10月、俺がヤマダリヲと絶頂兄弟というDJユニットを結成するところからです。

ヤマダリヲはもともと俺が立ち上げたパーティー「タブー」の末期にDJデビューした。俺とは在籍期間が被ってないが、まぁ縁があるっちゃぁあったわけだ。

タブー終了後は同パーティーのボス→SHIMAKAGEがプラネットカフェで新たに立ち上げた「c_side」にメンバーとして加わった。同じくSHIMAKAGEがセコンドで立ち上げた週末の「Lights」と平日の「collage」の両方にも参加したんだっけ?Lightsには不参加だったかも。

いずれにしてもその頃のヤマダは島影組の番頭格でおしゃれハウス担当のDJというイメージが俺の中にあった。

それがセコンドのケンサク店長の思いつきで俺やラマンと組まされ「CATCHY!」を始めたことで、徐々にメッキが剥げていった。実はサブカル好きで色物ネタを密かに溜め込んでいたことが発覚したのだ。

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DJ♥ネグリジェのバカサガ 番外編

バカサガPART26の末尾で触れたダーティダッチとそこから派生したムームバートンに関する店主の一連の調査ツイート(12/7?12/9)を再構成して掲載します。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

ブログのフィジェットハウス考察の中でも補足したのですが、たまにフィジェットとの類似性が指摘されるダーティーダッチとそこからタナボタ的に生まれたムームバートンについて勉強中。

まずノッケから今更なんだけど、Silvio Ecomo & Chuckie「Moombah(Afrojack Mix)」(2009年、動画↓上)とMajor Lazer「Pon De Floor」(2009年、動画↓下)じゃどっちが先なの?




Discogsによれば「Moombah」の配信開始が2009年5月でMajor Lazerのアルバムリリースが6月。しかも「Pon de Floor」はAfrojackが共同プロデューサーに名を連ねているから「Moombah」が先かな。でもこの曲、てかダーティダッチってさらに元ネタがありそう。

でもってムームバートンの発明者であるDave Nadaくんの音源はいまならこのへんでレーベル公式の無料音源が取り放題なので、彼がDiplo並みの超売れっ子になる前に根こそぎDLすることをオススメします。

でもムームバートンってBPM110前後の曲ばっかなんでUKガラージとはミックスできない。ウォンキーやスクウィーと混ぜようとすると今度は早すぎる。もう一回思いっきりピッチを上げれば音が荒れたりとか面白い効果があるのかな。昔、イミューのサンプラーSP-1200でそういう話あったよね。

>一方のダーティダッチはBPM130前後の曲が多いので、こちらはUKガラージに混ぜてプレイ可能。てか、してます。

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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART27

PART27は、再び店主のパーティー遍歴に戻り、退院から1年以上たってようやくDJに本格復帰した2008年6月を手短にサクサクッとリワインドします。

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今日リワインドするのは2008年6月、退院から1年余り経ってようやく俺がDJに本格復帰するところからです。

俺は20年以上DJを続ける中でいろんなハイプを見てきた。レアグルーヴ、クラブジャズ、アシッドハウス、バレアリック、アシッドジャズ、ジャングル、フリーソウル、ドラムンベース、ディープハウス、ハッピーチャーム、ハッピーハンドバッグw

>失礼しました。ハッピーハードコア、ハッピーチャーム、ハッピーハンドバッグと続けるのが筋だねw RT @okichu: ハッピーハードコアは?w

>ビッグビートも抜けてましたw RT @okichu: ハイプを渡り歩いてきた男としては外せません!w

そしてもちろん2step。とりあえずどんなハイプにも一度は乗ってみる。それが俺のDJとしてのポリシーだ。クラブミュージックなんてどうせハイプ。昔は口に出すのが躊躇されたが、いまではそれが俺の持論だ。

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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART26

PART26は、フィジェットハウスに関する一考察の続きです。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

昨日の若杉実さんとの電話でのやりとりを思い返している。若杉さんのように一語一句に魂を込めてる人のことを思うと、ここでやたらなことは呟けないと自分を戒める。いい意味で口が重くなる。

高倉健や菅原文太を見て育った昭和の男は、年に一度くらい「雄弁は銀、沈黙は金」の意味を噛みしめ実践したくなる。それにはまさにいま時分がぴったりだ。

だが、侘しいやもめ暮らしで勤めにも出ていない俺は、ほっとけばひと月くらい誰とも口をきかないことも平気であるが、それが金になった試しはない。

なので、今日もやたらなことを呟いちゃうと思いますが、まぁ無責任さや軽口は俺の仕様なので笑って許してください。

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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART25

PART25は、店主のパーティー遍歴を一旦お休みして、2007?8年頃大ブームとなったフィジェットハウス(Fidget House)について再考察してみます。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

当初、1日?2日で終わる予定で呟き始めた俺のバカサガもとうとう月をまたいでしまいました。

今日は俺のパーティー遍歴はちょっとお休みして、フィジェットハウスとは何だったのか(過去形になってるしw)を俺なりに再考察してみたいと思います。

なぜならそのとらえ方によっては、2002年7月の京都で一旦終了したはずの俺のUKガラージDJサーガが一気にV字回復を描くかもしれないからです。ワクワク。

ノンケ…もといノッケからいきなり結論を急ぐようだが、フィジェットハウスはUKガラージか否か。答えはもちろん否。

ではガラージ耳で聴けるか否か。答えはまず間違いなく、200%(安生洋二、橋下知事)どころか2000%(野田社長)聴ける。これは一体どういうことか。

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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART24

PART24は、店主が退院後駆り立てられるようにベースパーティーの開催に奔走した2007年夏をリワインドします。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

2007年1月、俺はなんとか1度目の退院を果たす。難病だからそう簡単に完治するはずもないのだが、病院としては必要な治療を施し患者の容態が安定したら病室のベッドを空けるのがルーチンなのだ。

退院してすぐに俺は自分が病人のまま社会に放り出されたことを思い知る。ほんの数百メートル歩いただけで嘔吐する、椅子から立ち上がっただけで激しい目眩に襲われる。俺は1日の大半を自宅で寝て過ごした。点滴を打ってないだけで病院にいるのと同じだった。

ひとつだけ違うのは自宅にMacがあったことだ。ネットを通じて外の世界とコンタクトが取れた。俺はiTunesで少しずつベース音源を集め始めた。SwitchやSindenなどのフィジェットハウスが大量に出回り始めていた。

2007年の春先に入退院を繰り返し、結局いまのところ最後の退院となったのが4月の半ばだった。またいつ入院するかも分からない。俺は急いで逆チャリティーパーティーの準備に取りかかった。

セコンドのケンサク店長と相談して7月上旬の日曜日を押さえた。ケンサクからはDJも紹介された。俺も昔から知っているSHINGO-IDだ。SHINGOはテクノのDJだが、この頃にはゲットーテックやボルチモアもプレイしていた。浜松は彼と俺でいこうと決めた。

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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART23

PART23は、店主が入院中出会ったDiploを道案内にゲットーベースという辺境に分け入った2006年秋?冬をリワインドします。

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今日リワインドするのは2006年秋、俺が入院中Diploにヤラれまくるところからです。

Diploの名前を最初に知ったのは月並みだがM.I.A.の1stだ。例の「Bucky Done Gun」ね。

M.I.A.のアルバムを聴いたのも入院中。AGOくんが差し入れてくれた文化デリックの『ポップ・カルチャー年鑑』の中で絶賛されてたから。で、すぐに「Bucky Done Gun」が耳に止まった。てか聴き覚えがあった。2005年かかりまくってたからね。

だから、バイレファンキ(バイリファンキ、ファンキとも)というブラジル発のクラブミュージックを知ったのもその時だ。で、どうやらそのファンキを世界的に広めたDJがDiploらしいということも分かった。

まぁいまの件には諸説あって、たとえば日本ではスマーフ男組のコンピューマが何と2001年に田島貴男のラジオ番組『バースト!』の中でファンキを紹介している。だが、その頃日本でファンキが局地的にでも流行ったなんて話は聞いたことがない。

M.I.A.のアルバムと同じ頃(2005年春)にドイツのエッセイというレーベルから出たファンキの定番コンピ『Rio Baile Funk』はどうか。M.I.A.のブレイクに便乗して発売したわけではなさそうだが、「Bucky Done Gun」のシングルでのリリースは1月。ブレイクは予想できたかもしれない。

>それより先、2004年にUKのミスターボンゴというレーベルから出たコンピ『Slum Dunk Presents Funk Carioca』には、M.I.A.「Bucky Done Gun」の元ネタになったDeize Tigrona「Injeçao」が収録されている。

いずれにしてもM.I.A.はDiploの作品やDJを聴いて「Backy Done Gun」のプロデュースを発注し、結果この曲がバイレファンキという辺境音楽を満天下に知らしめる役割を果たしたわけだから、Diplo布教説が最有力かと。

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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART22

PART22は、店主が1年間の休業を経てDJに復帰した直後、見たことも聞いたこともない難病に罹り入院する急転直下の2006年をリワインドします。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

ゆうべはプラネットカフェでたくさんのDJの方から、ここ読んでるよと声をかけて頂きました。こんな与太話にお付き合い頂き本当にありがたいことです。

その中で、ここは浜松クラブ史という側面も兼ねていることを改めて思い出させてもらった。だが、所詮俺目線ではどうしても欠落してる部分があるわけで、例えば2000年にクローズしたクラブ「チョイス」なんかがそう。

「チョイス」は、浜松のクラブ黎明期から「City Cafe」などで活動したDJのシンムラくんが1996年に立ち上げた店だが、俺は2回ほど貸切パーティーでプレイしたのみの基本客だったので、この店について多くを語ることができない。

俺がフォローさせてもらってるDJではMATVさん、DJ310、MASAOMIくんあたりが呟き始めてくれるとおもろいのになぁ。あと、ツイッター外ではTURUさんとか。

2004年春に有楽街にオープンしてあっという間にクローズした「STUDIO 1981」にも俺は参加していない。お話を聞かせていただく機会はありましたが。グランドオープンのテイさんには普通に客として遊びに行った。

あとは、マメちゃんの「Trenchtown Cafe」か。こっちも遊びにしか行ってないな。マメちゃんのお別れパーティーが「Cross Over Club」であった時は直前に知ったんだ。顔が出せてよかった。

「ハンボルト」も客でしか行ってない。俺目線の浜松クラブ史で大きく抜け落ちてるのはそのへんかな。けっこう虫食い、どころが穴ぼこだらけの年表だな。

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