DJ♥ネグリジェのバカサガ PART4

PART4は1999年夏?2000年秋までの1年余り、クラブ「Planet Cafe」で開催していた平日パーティー「タブー」時代をリワインドします。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

こっから、いよいよクラブ「Planet Cafe(以下プラネットカフェまたはプラネット)」時代に突入!

1999年春、俺がFMハロー!で『ピクニック・ジャム』を始めた頃、東京からDJのRYOTAが浜松に戻ってきた。RYOTAも晩年の「City Cafe」を知るDJの一人で、その頃LIQUORさんとクルーを組んでいた関係で俺とも知り合った。

RYOTAとはその後、よくレコ情報とかを交換し合うようになって、一緒に名古屋「クアトロ」までMark Stewartのライヴを見に行ったりもした。

RYOTAは95年の暮れにプラネットがオープンした時からのDJで、俺がプラネットに遊びに行く時は大体彼かATOMさんがプレイしていたような記憶がある。

ATOMさんは浜松のクラブシーンでは知らない人がいない大御所DJ。俺なんか足下にも及ばない大先輩。田町中央通りにある「ハイタイムスレコード」の店主でもあります。短いけどそれで説明十分ですよね?もちろんいまでも現役でプレイ中。

で、RYOTAは90年代の終わり頃に上京してDJやったり、でもきっと主にはぶらぶらしながらw何年か過ごした後、再び浜松に戻ってプラネットの店長をすることになった。それで、俺にもプラネットで何かやんないかと声をかけてくれたんです。

90年代中頃、浜松ではプラネットのほかにも「Hambolt(以下ハンボルト)」「Choice!(以下チョイス)」といったクラブがオープンして、「Trenchtown Cafe」もあったから、そういう意味じゃ最初のクラブバブル期だったかもしれない。実際、プラネットもオープン当初は週末300人とか入ってたんじゃ。

プラネットがオープンした当初、遊びに行くたびに俺もここでプレイしたいなぁと思ったんだけど、その頃の俺のイメージはきっとソウルバラードかP-Funkしかプレイしないエロ阿呆DJだったろうし、案の定どこからも声がかかりませんでした。だからRYOTAに誘ってもらった時は本当に嬉しかった。

プラネットでのDJデビューは99年の初夏、6月の終わりだったか7月だったか。月曜にやってた「Under Drama」というジャズ系のパーティーで1時間くらいプレイさせてもらった。でもなんでジャズ?

>昔RYOTAとはストラタ・イーストやブラックジャズといった暗黒ジャズレーベルの話で意気投合した覚えがあるから、それでだろうか。

その次はATOMさんが新しく始めるソウル/R&B系のパーティー「HOT WAX」に参加させてもらうことになった。大出世wその頃のプラネットはハウス、テクノ系のパーティー全盛で、そっち系のはほとんどなかった。だから、でもやるんだよ!的なことをATOMさんが熱弁していた。

プラネットでやるようになってから、俺はすぐにマイメンのISAOに声をかけた。あと、何を血迷ったかOSUGEEEにも。まだまだ人材難の時代だったんですねwその2人と一緒に平日のパーティーとして立ち上げたのが「tabou」。後の「タブー」のオリメンにイサオがいたのはトリビアだぜ。

「HOT WAX」は最初だけATOMさんとRYOTAと俺の3人でやって、2回目からRTOYAに代わってISAOが入った。適正人事ですね。こっちは毎月1回金曜の開催。KCやメスカリン時代のお客さんが付いてきやすいジャンルだったし、徐々にお客さんは増えていった。俺のモテキの幕開け♪

一方の「tabou」は、平日のパーティーだからラウンジノリでやりたいという考えがあった。OSUGEEEと2人では心もとないので、いまもやってる「DJ道場」で新メンをスカウトすることにした。念のため断っておくが俺のOSUGEEEいぢりは一種のお約束として受け流してください。

DJ道場で最初に耳にとまったのがSHIMAKAGEのプレイ。いまや浜松で最も忙しいDJの彼だが、当時からいまに通じる、沖野兄弟やGilesあたりが好みそうな渋めのお皿を回してた。誘ったら特に彼も嫌がらなかったので即決で一人目の新メンが決まった。

同じ日にDJ道場の門を叩いていたのがARCH。俺がプラネットに着いた時はもうプレイを終えてたんだけど、SHIMAKAGEに紹介されてこれまたその場で即決した。理由はひとつ、当時プラネットでプレイしてたどのDJよりイケメンだったから!プレイを聴かずにクルーを組んだのは彼が初めて。

そんなこんなで99年11月から新生「tabou」が始動した。毎月1回月曜の開催。キャッチフレーズは「Love Sounds On Lounge」。フライヤーには月替わりでFrançoise Hardy、Brigitte Bardot、Ewa Aulin、Edie Sedgwickが登場した。

「tabou」はフライヤーの人選からも分かる通り、最初は本当におされでラウンジーなパーティーだった。ちょうど、Dimitri From Paris、Nicola Conte、Buscemi、Ursula 1000なんかが売れてる頃だから、ハウスDJでもその手の音源は何枚か持ってた。

>ラウンジ音源を中心にプレイしていた頃は、フロアで踊るよりサロンでまったりしているお客さんが多かった。

フロアに人がいないのは(自分がブースに立つ時)少し寂しかったが、でもプラネットのサロンにはだんだん人があふれるようになって、4回目→2000年の2月には48人を集客した。これは、当時の平日としては信じられないような数字だった。

あの頃俺はもう30代後半だったけど、毎晩のようにプラネットに顔を出した。パーティーのジャンルを問わず、とにかく店にいるお客さんに営業しまくった。若いDJたちにも顔を売って、うちらのパーティーにも遊びにきてくれとお願いした。よくあんだけのエネルギーがあったよなぁ。

SHIMAKAGEとARCHは、毎日のようにチョイスとプラネットをハシゴしてたんじゃないか。OSUGEEEだって、いまよりはマメに顔を出した。自分の店でも熱心に営業してくれてたはずだ。とにかく、みんな異常にテンションが高かった。

「tabou」は2000年1月からパーティー名を片仮名表記の「タブー」に改めていたが、3月からはパーティーのコンセプトも一新することにした。店内に貼り出したフライヤーのキャッチコピーは「タブー解禁」。つまり、フロア解禁、DJたちのアゲアゲプレイも全面解禁した。店長はRYOTAからIMAちゃんに代わっていた。

フライヤーは「タブー」のロゴが大きく入ったステッカー式のものを作った。部数は200とか300とかそんなもんだったが、本当にあっという間にハケた。ロゴのプリクラシールも作ってお客さんたちに配った。IMAちゃんに頼んでゲスト枠を設けることにした。お客さんがどっと来た。

「タブー」のDJ全員分の名刺も作ったな。アイロンプリントでロゴ入りのTシャツも作った。とにかくお客さんが来そうなアイディアは片っぱしから試した。正直、音楽の話はあんましなかったな。その頃の「タブー」は、誰がDJでも最後には必ずBasement Jaxxがかかるような展開だった。

たまに、若いDJから「どうしたらお客さんが来ますか?」と聞かれる。俺の経験から言えるのは、とにかく箱に顔を出しまくって、お客さん一人ひとりに営業すること。つまんないけど、それが唯一の答え。ネットやメールでお客さんが釣れた試しはない。いや少しはあるけど、ここではない!と言っておくw

ずいぶん偉そうなことを言ったが、実際いま俺はほとんどクラブに顔を出していません。俺の論理に従うなら、クラブ以外での営業はやっても無駄だから、俺はまったく営業をやっていないことになる。営業しないDJはブースに立つべからず!その通りです。謝ります。偉そうなことを言ってすいません。

「タブー」ではSHIMAKAGEがよく大沢伸一監修『Sakura Hills Disco 3000』の1曲目をプレイしていた。あのコンピに収録されてたテイさんの「Happy 2000」で初めて2stepを聴いたと思う。テイさんはたしか『Remix』誌で99年のベストディスクにすべて2stepのお皿を挙げてたはず。

違うな、初めて聴いた2stepはテイさんのじゃない。99年に出たBasement Jaxx「Bingo Bango」の12インチに「Jump 'n Shout(Stanton Warriors Mix)」が入ってる。これが最初だ。ただ、その時は2stepやUKガラージという言葉を知らなかっただけだ。

osugxxx その前に、ブリストルの盤(名前忘れ)買ってませんでした? RT @djnegligee 99年に出たBasement Jaxx「Bingo Bango」の12インチに「Jump 'n Shout (Stanton Warriors Mix)」が入ってる。これが最初だ。

>@osugxxx そのへんは正直記憶が錯綜してる。ただ発売年から言って、最初はJaxxあたりだと思うよ。スピガラは実はけっこうオンタイムで聴いてたことが後になって分かるんだけど。

>初めて聴いた2stepは熟考したがやっぱり定かではない。「タブー」をやってる頃は完全に耳がUKに向いてたから、99年頃に買ったUKハウス皿にその手のリミックスが入ってた可能性は高い。いずれにしても既出のJaxxか同時期のお皿だろう。

>同じ理由でスピードガラージもそれと知らずに買ってたんじゃないかな。後になってスピガラを集め出した時、知ってる曲がいくつかあった。Kim Engilish「Nite Life」(1994年)なんかも既聴感があったな。しかし、スピガラって略し方はスピタモみたいでいいやね。

>スピタモとは当時沼津市在住だったJ-POP DJスピードタモリ氏の略称。

「タブー」はどんなに集客が良くても週末への昇格を果たせずにいた。勢いだけで音楽的な売りに欠けることも理由のひとつだった。よそでは聴けない、何か新しい音楽的な目玉が必要になった。何の気なしに「誰か2stepやんない?」とメンバーに聞いてみた。誰も手を挙げなかった。俺がやるハメになった。

多少プロセスを省いてますが、俺が2step掘るようになったキッカケは大体そんなところ。早い話がいきものがかり…じゃなくて行きがかり上。天からお告げがあったわけでも、雷に打たれたような衝撃的な楽曲との出会いがあったわけでもない。劇的じゃなくてすいません。生まれてきてごめんなさい。

とりあえず、最初はお手軽にコンピからだろうということで、音楽誌『アドリブ』の2step特集とかで調べて、アナログ2枚組の『Sound Of The Pirates』を買った。最初に買ったコンピがこれで正解だった。AGOくんも書いてた通り音がいいし、それに何より選曲が抜群だった。

『Sound Of The Pirates』から数曲をクラブより先にラジオでかけた。当時まだ高校生で俺の番組のリスナーだった(いまはDJの)KILI-5がその時たしかスタジオに遊びに来ていて「2step流行りますか?」みたいなことを聞いてきた記憶がある。流行るかどうか俺の方が知りたかった。

結局「タブー」では2stepかけなかったんじゃないかな。理由は書かないが、2000年の夏が終わる頃、俺とOSUGEEEが「タブー」を辞めることになったからだ。念のためだが、喧嘩別れとかではない。その後「タブー」はSHIMAKAGEが頭に立って平日の看板パーティーとして不動の地位を築いていく。

(つづく)

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