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DJ♥ネグリジェのバカサガ PART10

PART10は2001年4月、浜松で東西のガラージDJたちが一堂に会する歴史的な場面、そして歴史的にはどうでもいい俺とアンタマの鬼畜師弟誕生の瞬間をリワインドします。

※記載事項に間違いがありましたらどしどしご指摘ください。

呟き始めた頃は、1日か2日で終わるつもりだった俺のバカDJサーガ。気がつきゃそろそろ1週間かよ。こんな与太話に付き合って読んでくれる人のためにも早く終わらせたいけど、これ単なる懐古に終わらせたくないからさ。

昔はUKガラージ熱かったとか、目指してるのはそんな着地点じゃないから、まだまだ先は長い。

今日の見せ場は、eraguruさんとAGOくんをゲストDJに迎えた2001年4月のステステ@浜松プラネットカフェで、遂に東西のガラージDJたちが一堂に会するところです。

4月はその前に俺の「GARAGEEE」デビューもあったな。4月13日(金)、名古屋栄のクラブ「JB'S」で行われた2回目の「GARAGEEE」、こん時はOSUGEEEと一緒だったのかな。ズッキーこと鈴木一彰さん、MAHIROくんなどそうそうたる名古屋のDJ陣、マウちゃん&ナオちゃんの名古屋ガラージガールズに会ったのもこの時だ。MCにはnobody knowsのg-tonも登場していた。もちろんeraguruさんも遊びに来てた。

同じ2stepのパーティーでも名古屋のフロアは浜松に比べて断然女子率が高かった。しかもみんな高級OL風。そりゃもう華やかなもんだった。女子フェロモンが充満するフロアで聴くと、ベースがブンブン唸る重量級のトラックでもシャレオツに聴こえたものだ。ありゃ、DJたちは相当モテたな。

一方で俺のモテキは終わりを告げようとしていた。同じ月、R&Bパーティー「HOT WAX」がファイナルを迎えたのだ。前年からハイタイムスレコードのMiuchi、そしてこの年の春からは当時「RGB」というパーティーでプレイしていたTAKA-PYONという若手のDJを迎えた矢先のことだった。

理由はいくつかあるが、俺の2step熱も無関係ではなかった。お客さんに「あんなヘンなの(2stepのことです)やめてR&Bだけかけてなよ」と言われたこともあったな。だがもう引き返せなかった。今度は名古屋のDJたちのように2stepでモテればいいやと考えていた。とんだ読み違いだった。

この時期一気に頭角を現したクリエイターがStickyだ。自身の「Triplets」とNesha「What's It Gonna Be? 」のY2Kミックスが2000年、そして2001年にはいよいよ「Booo!」が来る。

なんちゅうか、2step全盛期を象徴する1曲って気がする。Sticky Feat. Ms Dynamite「Booo!」。



ご多分にもれず俺もStickyにハマって、これも前にツイったけど、それこそパックマンからガンジャマンまで、よく考えたら実はどうでもいいお皿まで必死で追っかけた。若杉さんもStickyはずいぶん推してたな。

2001年4月20日(金)、ステステ特別編が浜松プラネットカフェで開催された。ゲストDJはeraguruさんとAGOくん。前回3月のステステの時はeraguruさんがお客さん、AGOくんはMCだったので、俺を含むドリーム兄弟がブースに勢揃いするのはこの時が初だった。ステステにゲストが入ったのも初か。

その日は東京からBattleクルーも遊びに来ることになった。東京のガラージガール(当時w)ユキ姐もダーリンと一緒に来た。名古屋からはマウちゃんナオちゃんやズッキーさんも来たのかな。地元のお客さんより多いとは言わないが、この夜は遠征組がかなり目立った。

Battleクルーは今井さん、Rikiさん、Katsutaくん、(サガラ)アキくんの4人だったかな(違ったらゴメン)。街中のうなぎ屋から電話がかかってきて、そこで初対面したのを覚えている。「Battle」はその頃、日本の2stepの総本山というイメージがあったから、そこのクルーに会えて光栄だった。

パーティーは楽しかったな。お客さんも盛り上がった。AGOくんのマイクを握りながらスピンするスタイルはレゲエのセレクタのようで斬新だったし、eraguruさんは浜松でもBlowfelt、Harry Limeあたりの超重量級トラックを連投し、いたいけな浜松っ子たちのドタマをかち割った。

店が跳ねた後はお決まりの朝まで生ロイホ。ちょうどRikiさんがロンドンから帰った直後で、現地のパーティー事情などを話してくれた。俺も話を聞きながらロンドンアコガレ、アヤナパアコガレが募ったが、絶対に行くことがないことも分かっていた。俺は極度の高所恐怖症。飛行機が死ぬほど嫌いなのだ。

eraguruさんAGOくんをゲストに迎えた翌月、2001年5月のステステは当時浜松の2step DJでは唯一の若手だったKooketsuをフィーチャーした。この月もAGOくんがMCとして駆けつけクラウドを煽ってくれた。この頃にはもうパーティーの垣根はもちろん県境も無いに等しかった。

2001年6月からステステはパーティー名を「SeX」に変えた。これは俺としては「StEpXstep」、つまりステステの略称のつもりだったが、まわりのウケは良くなかった。最大の痛手は、そんな名前にしたことで、女子高生のレイナをフライヤーのモデルに使えなくなったことだった。

この時のフライヤーが手元に残ってないのでハッキリしたことは言えないが、SeXの一回目ではHuckaさんをフィーチャーしたんじゃなかったかな。さらにこれもうろ覚えだが、いま静岡で活動する鬼畜系DJのアンタマと初めて話したのもこの時か、5月のステステだったような。

アンタマ、もといその時はまだ安間という一人のチンピラだな。ヤツは店のオープン直後、まだ誰もいないフロアにポツンと佇んでいた。俺が「2step好きなの?」と話しかけると「好きです!ステステも最初から来てます!」とオーガナイザー泣かせのことを言いやがった。チンピラのくせにw

聞けば、地元は静岡だと言う。おそらく「CALL!!」の2stepスペシャルの時も来てたんだろう。もしそうなら、その時プレイしたShun Shunと後にクルーを組むのも何やら因縁めいている。いや、それ以上にその時フロアにいた女性DJ Moonyと結婚しちまったことの方がもっと運命的か。

この安間、後のアンタマという男は、実は俺にとって最初で最後の弟子である。俺はヤツに会った時すでにDJ歴が10年を超えていたが、それまで弟子と呼べるようなDJが一人もいなかった。いや正確には、俺なんかの弟子になりたがる奇特なDJなど一人もいなかったのだ。

いつどこで師弟関係を結んだのかは正直よく覚えていない。ヤツは俺がアンタマの名付け親だと言うが、俺がヤツに授けたDJネームは「タマ」だ。それを勝手にアンタマに改名した。本当なら破門されてもおかしくない無礼な振る舞いだが、たしかに俺もアンタマの方がいいDJネームだと思う。

ともあれ、俺がアンタマを唯一の弟子と認める理由はただひとつ。ある日、俺が突然アイドルのヲタに身を落としたw時も、ヤツだけは文句を言わず、それどころかむしろ喜んでついてきたからだ。俺の入院中、代打としてBerryz工房のさいたまスーパーアリーナ公演に参戦したのはアンタマである。

アンタマとのしょーもない師弟関係の話でキリを付けるのもなんだか気が引けるが、今日はまぁそんなところで。

(つづく)

Booo! [12 inch Analog]
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Sticky

by G-Tools
Booo
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Booo! (Featuring Ms. Dynamite) - EP - Sticky

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